何度でもあなたにときめく話 HAPPYSUGADAY2023

※はじめに

これは私個人の意見、考えで書かれている文章です。一部私の憶測や感情のみで書かれている部分があります。事実として受け止めることがないようにご理解お願い致します。

 

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今年もケーキを予約した。今年も一ヶ月前からソワソワし始めたし、届きもしない長文の激重ラブレターを綴って、会社用だろうと私用だろうと構わず持っている全ての手帳とカレンダーには3月9日の枠にハートを書き込んでいる。

何も変わってない、去年から何も変わらない。
ユンギさんに会えないのも、この目でBTSを見られないのも、変わっていない。


変わったことといえば、私が社会人になり、BTSはシーズン2へと突入したことくらいだ。


でもそれが、私の人生を180度変えてしまった。
私の気持ちをドン底まで突き落とした。


去年のユンギさんの誕生日から、今年のユンギさんの誕生日まで。この1年間、人生でここまで辛い1年があったかと思うほど、冗談抜きでしんどかった。


慣れない会社を辞めたい気持ちに耐えられたのはBTSがカムバすると聞いたからだった。YETTOCOMEのティザーが本当に私好みだったから。また新しい姿が見られるから。ユンギさんの歌が聞けると思ったから。


YETTOCOMEはすごく良くて、五本の指に入るほど好きな曲だったし、思い出が沢山詰まったMVで、


「7人でこれからもずっと音楽を続けてくれますように」って、BoyWithLuvのMVの最後に楽しそうにみんなで叫ぶ姿を見て、インスタのストーリーでそう呟いた時のように、同じことをまた思った。

 


その数日後に、私たちに突きつけられたのは次のフェーズへと移る彼らの決意と、これまでの苦悩や葛藤、涙。正式に発表された個人活動の重点化、ジンくんの入隊。


絶望とはまさにこのこと。
個人活動は、正直私の中で全く受け入れられるものではなかった。
足並みを揃えなくなることによって生まれる方向性の違い、CDの売上枚数を巡ってのファン同士の争い、メンバーの裏切り…
ポジティブなイメージは私にはなくて、昔の推しでそんな経験を味わったからこそ、BTSを好きになった日からずっと「7人一緒に」にこだわり続けてきたのに、それが一瞬にして壊された。
何度も周りに言い続けた、「BTSのSUGAが好き。」それはBTSとして、BTSの7人でいる時のSUGAのこと。
ジンくんが入隊し、兵役免除は幻となった今、そんな私の大好きな「BTSのSUGA」は、早くても2025年までは見ることができないらしい。

 


引き受けるハイブランドとの仕事は全部個人で、発売される写真集も1人ずつ。
「7人」の新しい写真を見ることがほとんどなくなり、耐えられない日は昔のライブDVDや雑誌を引っ張り出して安心させる自分がいるくらい。


この1年で、新しいグループも応援するようになった。華々しいデビューを飾ったその少年たちは、ショーケース、ファンとの交流イベントを立て続けに行い、デビューから間もなく、私は彼らが歌って踊る姿をこの目に収めることができた。

 


そんな中、私の生き甲斐だったBTSのライブは、コロナによる規制が少しずつ緩和され、日本でのツアー、歓声ありのライブ、そして渡韓が許され始めている今この瞬間、止まってしまった。
「この日を待ってた」「おかえり」他のグループのファンたちの間でそんな言葉が飛び交うようになった中、ARMYだけはまだそれを言えずにいる人が大多数だ。釜山公演に行ったARMYたちも、その日限りで満足できたはずがない。


「コロナ禍でもDynamiteたくさんテレビでやってくれてるじゃん!」「ゲームだしてくれたじゃん!」「BT21、Tinytan!色んなものとコラボしてくれるからヲタ活忙しいね」
ワガママなことはわかってる、だけど私が欲しいのはそんなコラボグッズでもないしゲームでもないし、テレビの中だけの、カメラに向かって歌って踊る彼らじゃない。それはそれで嬉しいけど、それだけで「満足だ、ほかに何もいらない」ってなれるような甘いヲタクじゃないんだよこっちは。


私が欲しいのはライブで自分たちの曲に酔いしれて、取り憑かれたように踊り狂い、歌い、ラップをして、かと思えば突然ARMYを優しく愛おしい目で見つめながら歌うBTSなのに。私たちとBTSだけのその空間なのに。
ユンギさんに会うために、ユンギさんのラップをまたこの耳で聞くために、BTSのステージをこの目で見るために、惜しみなく愛を注ぎ、寝ても醒めても彼らのことしか、ユンギさんのことしか頭にないような生活が戻ってくることを夢見て、コロナ禍には帰省もせず隔離生活に耐えたし、就活だってガムシャラにやり続けた。結果的に最悪とも言える、地獄とも言える職場に就職しても耐えてきたんだ。

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YetToComeInCinemas、私にしては信じられないほど何回も足を運んだ。酷い時は1週間に3回も見に行った。
今日が最後と言われたcypher3のユンギさんのラップを目に焼きつけるつもりで、耳に刻むつもりで見続けた。


ユンギさんは、フリースタイルのダンスは苦手だ。音楽が流れてきて、それに自然と体がリズムを刻んで、体が音楽を求めているかのように踊る3jのようなことはしない。
昔に比べて、ライブ中に振り付けを無視して自由にステージ上で移動しながら歌う曲の割合が増えた。これも私は人気故の構成だと思っていて、逆に新人は振付を完璧に踊る姿を見せてくれるのが魅力だと思う。
実際、YETTOCOMEの釜山公演でも、DOPEでみんなが自由に踊っている中、チラリと映ったユンギさんは軽くではあるがMVや音楽番組で私たちが沢山見た振付を踊っていた。


でもユンギさんはラップになると、別人のようになる。
ラプラの曲は別に踊るわけじゃない。ラップをしながら、リズムに乗って体を動かす。
ユンギさんはそんな時、本当に取り憑かれたように人が変わると思う。


最近は確かに可愛い動きをするようになったし、騒ぐようになったし、ふざけることも増えてはきたけど、それでも「静」で表されるような人だ。そんな彼がラッパーのSUGAとしてステージに立った時、AgustDとして曲を出した時、本当に別人の様になる。歌詞に放送禁止用語をいれ、挑発したような笑い声を混ぜながらラップをすると、ドヤ顔で雑学を人に話したり、好きなものの話になるとそれはそれは嬉しそうに早口でたくさんのことを語る、猫とすら言われる可愛いユンギさんはいなくなる。


釜山公演で、それを改めて目の当たりにした。
そんなユンギさんも、私はもう3年以上見ていない。


永遠なんてない。ユンギさんだって韓国で生まれた一人の男だ、人間だ。
兵役だって行くし、結婚だってするかもしれない。私たちが転職をするように、辛くなって現状から目を背けることがあるように、逃げ出すことがあるように、アイドルをやめたいと、BTSをやめたいと思う日だって、ないと信じたいけれど、それでも絶対とは言いきれない。


それでもユンギさんは、そんな不確かな未来について、「20年先も、30年先も、ここに立っていると思う」と言ってくれた。
未来のことなんて本人ですら分からないけど、少なくともユンギさんの中では、何年経ってもBTSのSUGAでいることを望んでくれているということだ。
BTSのSUGAに執着する私にとって、この言葉だけでどれだけ救われただろう。
ユンギさんの言葉は私の人生そのもの。一言一句に喜んで悲しんで、振り回されるくらい大きな影響力を秘めている。

 

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ユンギさん、この1年は幸せに過ごせたかな。

毎年そんなことを考える。というかそれくらいしか、思うことしか私はしてあげられない。

 

日本ツアーがないからチケット代は貢げないし、

投げ銭できるような配信もないし、

何か大きなことをやろうとしているんだろうけど全く読めない謎コンセプトのインスタ投稿ももはや見守って待ち続けることしかできないし(あれ予想ついてるアミいるんですか?)

 

結局だけど、ユンギさんに貰ってばかりなんだなと思う。

髪が伸びたユンギさんの写真に発狂し、日本に来た時は窓を開けて思い切り空気を吸い込んだりもした。

唯一タトゥーの位置を明かしていないユンギさんにユンギペンはいつまでも振り回され(ぶっちゃけ教えてほしいです)ている。

 

ライブはないけど、カムバはしないけど、新しい姿でなんとか命を繋いでいる私のようなオタクは何億と存在してるわけで、実際ユンギさんが軍隊に行ったら、

許可が出た時しか投稿できなくなったら、

そんなことを考えると寂しくて、不安で、悲しくて仕方ないけれど、

 

それだけ好きなんだなと実感できる。

 

寂しくなったら昔の動画を見て、自分のお気に入りのユンギさんを見て心をときめかせた1年だった。

 

ずっと好き。本当に大好き。

 

高校生の頃みたいに、盲目に恋をしていたころ程の熱はないかもしれない。

だけど、ユンギさんに対する感情はずっと恋だ。

 

こんなに好きな人に出会えたこと。毎年毎年同じ気持ちの繰り返しだけど、

好きになれてよかった。こんなに好きな気持ちでいさせてくれてありがとう。

 

 

 

「一緒に歳をとりましょう」

 

思えばBTSからの誕生日メッセージで、もう何年も誕生日のスタートを切ってきた。

 

中学の文化祭のダンスステージで流れたDOPEでBTSに出会った。

高校生になって本格的にARMYになってから、休憩時間には当時まだ少なかった他クラスのARMYと廊下に集まって話に花を咲かせた。

BTSに、ユンギさんに沢山逢いに行く」それだけをモチベに地獄の大学受験を乗り切り、

カムバの日は塾の講義も頭に入らないほど時計を見つめて、帰りの電車でいてもたってもいられずDNAを見た。

ユンギさんの書いた歌詞の和訳を調べて、彼の世界観を理解しようとしたし、

チケットの当落に一喜一憂したのも覚えている。

ドキュメンタリー映画に一緒に行った友人には「ユンギがでてきた時だけほんとに恋する乙女みたいな目してたよ」と言われた。

 

私の青春は、BTSに、ユンギさんに捧げた。これだけは自信をもって言える。

私の生活にはいつもBTSがいて、今の私を構成しているのはほとんどユンギさんだ。

 

"変化は多かったけど、変わらない私たち"

色んなことが変わったけど、私はずっとBTSが大好きなユンギペンのARMYで、

彼らはBTSのままで、ユンギさんはBTSのSUGAだ。これはずっと変わらない。

 

来年もしっかりお祝いしよう。

3月9日、ユンギさんを祝うために、これから1年も頑張って生きよう。

 

来年も幸せな気持ちでユンギさんが誕生日を迎えられることだけを祈ります。

 

ユンギさん、本当にお誕生日おめでとうございます。いつまでも、どうかいつまでも幸せでいてください。

大好きなあなたに何度でもあなたにときめく話。

 

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